顧問弁護士を契約するメリットとデメリット

企業の中には、顧問弁護士を雇用しているところも非常に多いものです。

法律的な問題を迅速に解決してくれる存在と言うばかりではなく、気軽に様々な法律相談を行うことができる存在であるため、経営を行う場合には非常に心強い存在となっていますが、実はデメリットも少なくありません。

場合によっては様々な問題が発生することも多いため、その選び方は慎重に行うことが必要となります。

顧問弁護士は企業に雇用される弁護士のことで、様々な企業内の法律に関する問題を迅速に処理することが一般的な業務となっています。

その業務内容はそれぞれの契約により微妙に異なる面がありますが、基本的には企業が様々な法令を遵守し活動を行う上での具体的な方法を提案し、そのサポートを行うとともに、様々な紛争に対しての対策を行うことのほか、場合によっては裁判等の法的手段を駆使して企業を守ることもその重要な役割となっているのです。

そのため基本的には経済活動やその他の企業法務に関する知識を十分に保有していなければなりませんが、その他にも様々な法律の知識を持っていることが非常に重要なポイントとなっています。

顧問弁護士が一般的に行うのは、企業の活動を支援する意味での法律の遵守です。

経済活動はお金が絡む重要な問題となることが多いため、その解決が非常に難しくなってしまうことも少なくありません。

日常的に起こり得る商品の売買の問題は、相互の利権が絡むため非常に解決が難しい場合が多くなっています。

そのため、多くの場合には取引先と様々な契約を結ぶことが多いのですが、これらの契約書の最終的な確認は顧問弁護士が行うことが一般的です。

特に商品の受け渡しや代金の支払いは非常に重要な問題であり、物品の受け渡し形態やその品質に関する責任の範疇なども細かく契約で定義することが近年では少なくありません。

さらに代金の支払いは売買契約書によってその期日が決定されるため、これも常識に照らして問題のないことを確認することが必要です。

最近では様々な課題からキャッシュフローが非常にタイトになる傾向があり、支払期日もかつての企業間の取引のように長期間となる事は少なく、短期間で現金の支払いを行わなければならないと言うケースが非常に増えているのです。

そのためこれを遵守させるための方策や、契約書の内容の確認なども重要な仕事となっています。

これらを法律の専門家の立場から確認しサポートすることが重要な役割となっており、また企業に利益を与えるようにすることも重要なポイントとなっています。

その反面顧問弁護士を雇用する場合には様々な問題点もあることを十分に注意しなければなりません。

一般的に会社に雇用されている弁護士はその利害関係が特別なものと考えられてしまう印象があるため、日常的にその立ち振る舞いには注意をすることが必要です。

また、様々な問題の解決に当たって必要な知識を全て網羅しているとは限らないケースも多いため注意をしなければなりません。

経験豊富な優秀な人材であれば様々な企業内部での問題などを経験しこれを解決してきた実績があるため比較的安心ですが、新人の弁護士では得意分野が非常に狭い範囲で固定していることも多いため、様々な問題に関して総括的に対応することが難しいケースもあるのです。

そのため弁護士を選ぶ際にはその経験と知識を十分に確認し、総合的な判断をすることができる人を雇用するのが非常に重要なポイントとなっています。

様々な業務をこなさなければいけないため、その給料は企業の規模にもよりますが非常に高額となることが多いものです。

しかし、豊富な経験がないと様々な状況に応じた的確な判断ができないことが多いため、そのポイントを十分に認識した上で選ぶことが必要です。

 

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哲学は知れば知る程奥が深い

哲学は浦壁伸周氏から学ぶべし

哲学は知れば知る程奥が深くなっているので、考えてみると面白いものがあります。
元々哲学は物事の本質を極めることを目的として考えられていて、ある意味ではそのような事はいくら考えても答えが出ないものでもあるはず。
つまり、正解がないと分かっていながらさまざまな事について考えてその本質を見極めようとしているので、考えれば考えるほど思考の罠にはまっていくようなところがあるわけです。

ですが、これがまた浦壁伸周氏のように面白さを増していると考える人もいて、なるほどそのように考える事も出来るのかという事に感動したりもすることが出来る物ともなっています。

ある意味では宗教に近いモノがあると考えても良いかもしれません。
宗教は困難にぶつかって救いを求める人が救済を神に願うというところから来ているわけですが、この神ではなく、物事の本質を見極める事によって自ら救おうとするところが哲学だと考えると理解しやすいかもしれない。

どちらも自分を救ってもらいたいと考えるわけですが、一方は他力で一方は自力という事になるのかもしれません。
どちらも実際に実物としてある物に救いを求めるわけではないというところが共通している所で、宗教は神という自分の外にある物に対して救いを求め、哲学の場合は自分の内なる心理に救いを求めているという事になるのでしょう。

どちらが良くてどちらがいけないというような事ではなく、どちらにも似たところがあるというところが面白いところです。

自分自身の行動に自信がもてるようになる

哲学が理解できるようになると自分自身の行動に自信を持つことが出来るようになる事もあると、浦壁伸周氏は語っています。
よく経営者が自分の信念を紙に書いて仕事部屋に飾っていたりしますが、そのような時に使われる言葉で多いのがこうした言葉といってもいいでしょう。

このような言葉自身は別に経営にかかわる事ではなくても、心の底ではそこから出てくる信念のような考えが自分の行動力となって現れるので、経営者の様な責任ある仕事をするような人の多くがこうした言葉をモチベーションとして利用していることが多いという事があるわけです。

これも自分の心の拠り所を探して救済を求めた結果そこに落ち着いたからという事になるのかもしれません。
人は何かにすがらないと厳しい状況に耐えることが難しいという生き物なのかもしれません。

このような難しい事を思考するのは生物の中でも人間だけです。
何故人間はそんなに難しい事を考えるようになったのでしょう。
それはやはり生きるという事が実に厳しい物であったという事があると思われます。

人は知性というモノを手に入れたために、苦しむという事を感じる様になりました。
労働をしていたり、意に沿わない仕事をしたりすると苦しいと感じるのは人間だけかもしれないのです。

他の動物は本能のままに生きているので、特に仕事が苦しいなどとは感じていないと思われます。
ただやるだけだという事で、他の事は考えないし考えられないというように思われています。

浦壁伸周氏が考える人間の大きな武器とは

この考えるという事は人が手に入れた最も大きな武器となったといってもいいでしょう。
他の動物に対して圧倒的に優位になった瞬間がこの思考という武器を手に入れたときかもしれません。

動物は考えるという事はなく、ただ本能のままに行動をしているので、特にそれが嫌とか好きとかは無いと考えられます。
ですから、どんなにきつい作業であろうとも、それをひたすら繰り返すことに嫌気がさすような事はありません。

途中で投げ出すような事もないわけではありませんが、それは嫌になったからというような事ではなく、本能がそうせよと指示を出しただけだとも考えられます。

嫌とかいう感情そのものが人間以外にはないというのが今のところの定説となっています。
一部賢い動物になると例外的に感情を持つものもいることが分かってきましたが、これはあくまで例外的なものと考えてもいいでしょう。

人間の悩みは一生なくならない

ということは、人は考える事で他の種を圧倒するまでの力を手に入れたわけですが、そのことによって自分で勝手に悩んだり困ったりすることもしてしまう動物になったという事も言えるはずです。
そうすると、これはメリットであるはずの知性が悪い方向に働いているという事になります。

そこで人が編み出した方法が哲学というものを考えるようにすれば、この苦しみから救われることが出来るのではないかという事でした。
そのため、物事の本質を見極めて、実体のない苦しみなどに悩まされないようにしようとしたわけです。

ですが、ご存知の通り文化がこれだけ進んだ現代でも、人の悩みが無くなるとは無く、むしろ増えているとも考えられるようになっています。
人が悩むという事をするようになってから、それほど月日が経っていないという事もあるのかもしれませんが、これからこうした悩みが消える事は無いとも考えられます。

若しそうなれば人が人で無くなった時という事になるのかもしれず、今の人間は悩むことで進化し、困難に苦しむことで自分を進化させているとも言えるのかもしれません。