哲学は知れば知る程奥が深い

哲学は浦壁伸周氏から学ぶべし

哲学は知れば知る程奥が深くなっているので、考えてみると面白いものがあります。
元々哲学は物事の本質を極めることを目的として考えられていて、ある意味ではそのような事はいくら考えても答えが出ないものでもあるはず。
つまり、正解がないと分かっていながらさまざまな事について考えてその本質を見極めようとしているので、考えれば考えるほど思考の罠にはまっていくようなところがあるわけです。

ですが、これがまた浦壁伸周氏のように面白さを増していると考える人もいて、なるほどそのように考える事も出来るのかという事に感動したりもすることが出来る物ともなっています。

ある意味では宗教に近いモノがあると考えても良いかもしれません。
宗教は困難にぶつかって救いを求める人が救済を神に願うというところから来ているわけですが、この神ではなく、物事の本質を見極める事によって自ら救おうとするところが哲学だと考えると理解しやすいかもしれない。

どちらも自分を救ってもらいたいと考えるわけですが、一方は他力で一方は自力という事になるのかもしれません。
どちらも実際に実物としてある物に救いを求めるわけではないというところが共通している所で、宗教は神という自分の外にある物に対して救いを求め、哲学の場合は自分の内なる心理に救いを求めているという事になるのでしょう。

どちらが良くてどちらがいけないというような事ではなく、どちらにも似たところがあるというところが面白いところです。

自分自身の行動に自信がもてるようになる

哲学が理解できるようになると自分自身の行動に自信を持つことが出来るようになる事もあると、浦壁伸周氏は語っています。
よく経営者が自分の信念を紙に書いて仕事部屋に飾っていたりしますが、そのような時に使われる言葉で多いのがこうした言葉といってもいいでしょう。

このような言葉自身は別に経営にかかわる事ではなくても、心の底ではそこから出てくる信念のような考えが自分の行動力となって現れるので、経営者の様な責任ある仕事をするような人の多くがこうした言葉をモチベーションとして利用していることが多いという事があるわけです。

これも自分の心の拠り所を探して救済を求めた結果そこに落ち着いたからという事になるのかもしれません。
人は何かにすがらないと厳しい状況に耐えることが難しいという生き物なのかもしれません。

このような難しい事を思考するのは生物の中でも人間だけです。
何故人間はそんなに難しい事を考えるようになったのでしょう。
それはやはり生きるという事が実に厳しい物であったという事があると思われます。

人は知性というモノを手に入れたために、苦しむという事を感じる様になりました。
労働をしていたり、意に沿わない仕事をしたりすると苦しいと感じるのは人間だけかもしれないのです。

他の動物は本能のままに生きているので、特に仕事が苦しいなどとは感じていないと思われます。
ただやるだけだという事で、他の事は考えないし考えられないというように思われています。

浦壁伸周氏が考える人間の大きな武器とは

この考えるという事は人が手に入れた最も大きな武器となったといってもいいでしょう。
他の動物に対して圧倒的に優位になった瞬間がこの思考という武器を手に入れたときかもしれません。

動物は考えるという事はなく、ただ本能のままに行動をしているので、特にそれが嫌とか好きとかは無いと考えられます。
ですから、どんなにきつい作業であろうとも、それをひたすら繰り返すことに嫌気がさすような事はありません。

途中で投げ出すような事もないわけではありませんが、それは嫌になったからというような事ではなく、本能がそうせよと指示を出しただけだとも考えられます。

嫌とかいう感情そのものが人間以外にはないというのが今のところの定説となっています。
一部賢い動物になると例外的に感情を持つものもいることが分かってきましたが、これはあくまで例外的なものと考えてもいいでしょう。

人間の悩みは一生なくならない

ということは、人は考える事で他の種を圧倒するまでの力を手に入れたわけですが、そのことによって自分で勝手に悩んだり困ったりすることもしてしまう動物になったという事も言えるはずです。
そうすると、これはメリットであるはずの知性が悪い方向に働いているという事になります。

そこで人が編み出した方法が哲学というものを考えるようにすれば、この苦しみから救われることが出来るのではないかという事でした。
そのため、物事の本質を見極めて、実体のない苦しみなどに悩まされないようにしようとしたわけです。

ですが、ご存知の通り文化がこれだけ進んだ現代でも、人の悩みが無くなるとは無く、むしろ増えているとも考えられるようになっています。
人が悩むという事をするようになってから、それほど月日が経っていないという事もあるのかもしれませんが、これからこうした悩みが消える事は無いとも考えられます。

若しそうなれば人が人で無くなった時という事になるのかもしれず、今の人間は悩むことで進化し、困難に苦しむことで自分を進化させているとも言えるのかもしれません。